聡が顔を寄せると、美鶴はギュッと瞳を閉じた。
「サイテーだ」
―――――――っ!
「サイテーだよ」
触れた唇は、干からびた大地のようにカサついている。
そうだ。俺はサイテーだ。
潤すように舐めてやると、美鶴の両手の力が増す。
拒絶したい全身が不必要に力み、逆に唇には力が入らない。思うように閉じることすらできないようだ。
微かに、血の味がする。
怯えているのか。可愛いな。
だが抱き寄せると、甘い芳香が漂う。
「良い香りですね」
――――――っ!
強引に舌を押し込んだ。逃げる美鶴のそれを追い回す。捕まえると、小さく呻いた。
だが美鶴には、何もできない。
下手に動けば、箒やモップに身体が当たる。
無造作に放り込まれたそれらは不安定だ。触れればどのような音を出すかわからない。
美鶴には、何もできないのだ。
卑怯だ。サイテーだ。
これは犯罪だ。
わかってはいる。だが聡は、もはや自分を抑えようとは思わない。
だって、悪いのは美鶴なんだ。
お前が俺を、こうさせるんだ。
背中に回した腕に力を入れた。
「下種が」
瑠駆真へ向かって吐いた言葉。今は自分の脳天を貫く。
こんなところをアイツに見られたら、罵倒どころじゃ済まねぇだろうな。
そう苦笑してしまうほどの醜い余裕を湛えた自分。なぜだか、ひどく心地よくも感じてしまう。
それほどまでに、自分は卑しい人間だったのか?
目の裏で、逃げ惑う美鶴が踊る。黒々とした、少し潤んだ瞳は光をたたえ、その肌は透けるように白く、長い手足がしなやかに伸びる。
小さい頃から知っている、でもいつの間にかどんどん綺麗になっていくその姿に、銀梅花の香りが纏わりつく。
やらねーっ!
絶対に誰にもやらねーからなっ!
鷲掴みにしたモノを力いっぱい引っ張った。
――っ!
グイッ …………… トンッ
キキキィィー
――――――っ!
まるで小動物の鳴き声ではないかと思うような音。どちらの身体も固まる。
ただ一つ、中途半場に押し開かれた扉だけが、微妙にゆらゆらと揺れている。
聡の身体を押しのけた反動で、美鶴の背中が戸に当たった。建てつけの悪い扉は、それだけで開いた。
二人とも、瞠目したまま耳に集中する。
バレたっ?
だが、どれだけ待っても、誰も来ない。人の気配すら感じない。
意を決して、聡が扉を押し開ける。もちろん音を出さぬよう細心の注意を払って開け放ち、一歩外へと踏み出した。
果たして、見回りはすでに去っていた。他の階へ移動してしまっていた。
よかった
まずそう安堵し、だが、それほどの長い時間が経っていたのかと少し驚く。
聡には、ほんの数秒の出来事にしか思えなかった。
「もう行っちまったみたいだぜ」
何でもない事のようにそう言って振り返った先、刺すような視線とぶつかる。
怒りとは、激しさが高まると熱よりもむしろ冷たさを感じる。
美鶴の視線は、まるで氷でできた槍のよう。長く鋭く、そして激しい。
ふらつきながら外に出る美鶴へ手を伸ばし、だが視線で一喝された。
「外道」
―――――――っ!
世界が揺れた。
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